animation

アニメーション解説書



エミール・コール作品

  • アニメーション映画の先駆者で、技術開発者でもある。また初めてアニメを劇場で上映した人物でもある。彼の作品は、製作より80年以上たった今もなお新鮮で見るものを楽しませてくれる。
  • フランスにてトリック撮影の実写からキャリアをスタートさせた。その後アニメーションに転向。ブラックトンのアメリカ式の手法を彼が初めて見抜きそれを応用したのが「ファンタズマゴリー」だが彼は「おかしな顔のユーモラスな面相」のチョークを取り除き、絵そのものを”完全に一人で”動かすことを考え出した
  • 後年、彼の影響を受けたアニメ作家たちが待っているアメリカに移った。そこで精力的な製作活動をし、ヒット作を続出する。また様々な技術を生み出し、アニメの可能性も広げた。
  • 南瓜競争(1908年、4分45秒)

    "追っかけ"トリックを応用したコメディ。八百屋の荷車から落ちた巨大なカボチャが坂を転がり人々を驚かす。怒った彼らが追いかけると、"逆まわし"によってカボチャが坂を登り荷車に収まる。非常に貴重な彼の第一回作品。


  • ファンタズマゴリー(1908年、1分10秒)

    世界初のアニメーション作品。黒のバックに白い線で様々な模様が描かれ形を変えてメタモルフォーゼの限りを尽くしていく。この作品がアニメという新しいジャンルを切り開く事となった。その後のファントーシュ・シリーズと同様にネガのまま上映した。白と黒のコントラストが美しい。


  • ファントーシュの間のドラマ(1908年)

    これも線画のキャラクターが幾何学的に次々と変形していく、メタモルフォーゼの生き生きとした作品。


  • 愉快な細菌(1909年、3分37秒)

    実写とアニメを結び付けた原理を最初に適用した作品。医者が患者に顕微鏡を見せるとレンズの下で細菌たちが集まりヒゲを生やした演説家など様々なイラストを描く。人物は実写で細菌がアニメーション。


  • 一杯飲んだら?(1909年)


  • スペインの月明かり(1909年)共同監督A.アルノー

    この年代では並外れて完成度の高い作品。
    アニメと実写をつなぎ合わせるために映像のつや消しの技術を使ったのものではおそらく初めての作品だろう。メリエスの特撮作品にあるようなユーモナに満ちている。


  • 後期印象主義の画家(1909年?、5分11秒)

    実写とアニメを結び付けた作品。画家の描いた絵が動きだすコメディ。


  • 入歯(1909年、3分05秒)

    入歯が勝手に動き出し、人々に食いついて困らせるトリック撮影のスラップスティック・コメディ。ラストシーンにアニメの応用技術が用いられている。


  • 忠実な家具類(1910年、3分27秒)

    洗練された技巧を駆使して、実景シーンにアニメーションの技術を組み入れた作品。
    実写の家具たちが動きだしてドアを開け階段を上り、所定の位置に戻っていく。


  • ファンタスティックなマッチ(1912年)

    近年、再発見された本作はコールのアメリカ時代の残存作品としか知られていない。
    タバコの煙に怒った魔法使いが、煙に魔法をかけてタバコを吸っていた男を驚かす。貴重で、可愛らしい作品。


  • ボンヘッド教授の難船(1912年、2分46秒)

    "カット・アウト"技法による作品。ボンヘッド教授が無人島に流れ着き、そこで色々な冒険をする。



    ウィンザー・マッケイ作品

  • アメリカで初めて劇場用アニメ映画を製作した、アニメーションの父とも呼ばれる人物。
  • 1905年頃から新聞に「夢の国のリトル・ニモ」や「レアビット狂の夢」という漫画を掲載し、アメリカだけでなくヨーロッパにも知られた人気漫画家であった。「夢の国のリトル・ニモ」のアニメ化をきっかけにアニメ製作に乗りだした。
  • 彼の作品には、自分の漫画をアニメ化したものと、当時の時事ニュースをモチーフにしたものと2つのの流れがある。どれもアニメ史を語る上で欠かすことのできない重要な作品である。
  • 夢の国のリトル・ニモ(1911年公開、1910年製作)

    友人たちとの口論の末、マッケイは数千枚の漫画を束ねてキャラクターを動かす技術を考案する。マッケイの漫画の代表作をアニメ化したもので、ヴァイタグラフ社の古典作品の完全版。
    現在のTVアニメの30分番組と同枚数に近い4000枚という絵を丹念に描き、ブラックトンの撮影所で撮影され完成したこの作品は、作品の一部分だけがアニメートされたものだった。


  • モスキート(1912年1月公開、1911年製作)

    人間の顔ほどの大きさのある1匹の蚊が寝ている人の顔をめがけて飛んで来る。グサリと針を刺すが、血を吸いすぎてふくれ破裂してしまう。
    この素晴らしい完成度の高い作品は、まさしくマッケイの観察力と、それを描画にする時の力量の確かさの表れである。


  • アメリカの偉大なる漫画家ウィンザー・マッケイとガーティ(恐竜ガーティ)(1914年、8分25秒)

    アメリカ最初のアニメーション。動画用紙の一枚一枚に背景までが描かれている。
    マッケイが友人のジョージ・マクマナスと、漫画の恐竜を動かせるか賭けをするところからストーリーは始まる。実写のマッケイが命令するとスクリーンの中のガーティがそのとおりにやって見せる。最後にはマッケイもスクリーンに飛び込んでガーティの背中に乗り、去っていく。これこそ「恐竜ガーティ」の完全版だ。


  • ケンタウルス(1916年頃)

    マッケイの名を世に知らしめた美しいグラフィック作品。
    幻の作品とも呼ばれ、完全版ではないが、現存している部分だけでもクオリティの高さは伺える。



  • 恐竜ガーティ、旅に出る(1917年頃)

    外に出かけたガーティが途中で路面電車に行く手を阻まれる。


  • ウィンザー・マッケイによる驚異のペン画、沈み行くルシタニア号(1918年7月公開)

    罪のない一般乗客船を攻撃したドイツ軍を痛烈に批判した、反ドイツ精神を煽るプロパガンダ作品。
    マッケイがアニメ史上で果たした功績がこの一作に凝縮されている。これは15年にルシタニア号が、ドイツの潜水艦に撃沈された悲劇をアニメーションで再現しようという試みであった。ここでマッケイは、たった一枚を描くだけでも大変な労力を必要とする細密画のアニメートを行うという破天荒なことをやってのけた。


  • ペット(悪夢にうなされるシリーズ)(1921年頃)

    マッケイ最大の傑作!珍しいペットを飼っていた。それが巨大な大きさに育って、まず家をたいらげそして街中を破壊してしまう。
    ここで興味深いのは、ビルの谷間から現れる怪獣を、フロント・プロジェクション風アングルから描いていることである。後に数多くの怪獣映画で使われることになるこの視点位置の元祖となった。


  • 虫のサーカス(悪夢にうなされるシリーズ)(1921年頃)

    一種のギャグ・アニメ。一人の失業者が木陰で休んでいるうちに居眠りをし、夢の中で虫のサーカスを見物する。


  • フライング・ハウス(悪夢にうなされるシリーズ)(1921年頃)

    チーズトーストを食べたあと、ヒロインは家に翼をつけて夫と宇宙に飛び立つ夢を見る。そこには、ワクワクするような冒険が待ち受けていた。



    J・スチュアート・ブラックトン

  • エディスン社と並び、アメリカで最も古い映画会社"ヴァイタグラフ社"を創設した人物。
    元記者で画家でもあったが、エジソンが発明した映写できる映画の発表会に参加した時、この魔法のような機械に惚れ込み、記者の仕事をやめ映画製作者に転身した。早速、自分の映写機を購入し、それを改造して撮影兼映写機としてしまった。"ヴァイタグラフ"と名付け、社名にも使った。
  • ブラックトンの製作は1906年「ゾーイトロープ」のバンド(帯)をフィルムに置き換える所から始まった。ゾーイトロープのバンドの絵をフィルムに転写する為に1コマずつ撮影することによって、後にヴァイタグラフ社でこれらの有名なアニメーション映画を演出するのに役立った「一回転=一映像」撮影法が考え出された。また彼は自動デッサンの考えをもった最初の人物であった。そして「クランクの回転操作」の手法は、逆回転などの他の手法とそれを組み合わせるなどしてさらに多くの応用がなされた。それによって、鉛筆に文字を書かせたり、ペンに絵を描かせたりするのが可能になった。
    これらの手法を用いて「おかしな顔のユーモラスな面相」の製作に成功し、続いてアニメの前身とも言える作品を何作か製作した。これは"アメリカ式仕掛け"とも呼ばれ、この手法はメリエスもフェルディナン・ゼッカも突き止めることができなかった。
  • おかしな顔のユーモラスな面相(1906年、3分57秒)

    黒板にチョークで人間の上半身が描かれる。顔の一部を消しては描き直す方法でアニメートされているが、一緒に動いている腕の部分は切り紙である。続いて、黒板の上に模造紙が広げられ、今度は筆で人間が描かれ、これもまた動く。つまり普通のペーパー・アニメーションである。そして今度は、この模造紙が丸められる。つまり物体アニメーションである。現在、アニメーションといわれている全ての手法が行われていたのである。この一作がアニメーションの全てのジャンルへの道を開くことになった。


  • ニコチン王女(1909年、5分08秒)

    実写ドラマにオプティカル技術を取り入れた作品。タバコを吸おうとしたら、シガレット・ケースから小さな女の子が出てきて持ち主にいたずらする。1コマ撮り技術を用いて、葉巻やマッチがケースに収まっていくくだりは物体アニメーション技術を使い描いている。



    ジョン・ランドルフ・ブレイ

  • アール・ハードと組んで"セル画"アニメの手法を考案したことで知られる。元はニューヨークで新聞・雑誌に掲載していた漫画家で、パテ社で活躍した後アール・ハードと共に自らのブレイ・ハード・プロセス・カンパニーを設立した。
  • 1914年1月に申請し、8月11日に獲得したパテントには、背景を透明シートに描いて動画の上に重ねるという極めて重要な方法が含まれていた。これはセルと動画を重ねる順序が現在とは逆だが、背景を描く手順を省き、より複雑な背景を描く試みの第一号であった。
  • セルを用いた手法は、作品公開後にたちまち評判となり他の製作者にセルの使用権を与えた。そして、その技術をもって現代アニメの基礎となったわけである。彼のスタジオから巣立っていったアニメ作家はフライシャー兄弟、ポール・テリーなど数知れない。
  • ヒーザー・ライア大佐・シリーズ/戦場に行く(1916年?)

    ヒーザー・ライア大佐が、第一次大戦の最前線に赴いてドイツ軍の実態を発く。



    アール・ハード

  • ジョン・ランドルフ・ブレイと共に"セル画"技法を考案した人物。
  • 1914年12月に申請し、翌年の6月に受理されたアール・ハードの方法は、透明のシートの方に動画を描き、背景の上に重ねるという現在も使用されているものである。それは一つ一つのキャラクターを描くのを容易にし、動きをスクリーンへ移すのをはるかによどみなくさせた。そのため作品にかかる時間が短縮され、それまでは1年かかった製作が1ヶ月に1本のペースでシリーズ物が仕上がるようになった。
  • ボビィ・バンプス・シリーズ/ボビィ・バンプスとヤギ車(1916年)

    ボビィはヤギのカートにガールフレンドを乗せてドライブに出かけた。トレブルに巻き込まれハチャメチャなクライマックスを迎える。
    ボビィ・バンプス・シリーズの初期の作品と思われる。



    フライシャー兄弟

  • マックス&デイブ・フライシャー兄弟は自分たちの会社を設立する以前から人気シリーズを生んでいたチームである。
  • 彼らの最初のヒット作であり、最も定着した人気のあるキャラクターは"ピエロのココ"である。ベティ・ブープの相手役になったこともあり、トーキー時代に入っても人気は衰えなかった。作品の多数が「インク瓶の外」シリーズに含まれている。文字通り、ココがインク瓶から出てくるところから物語が始まり、入っていって終わる。
  • ココ・シリーズで彼らは自ら開発した"ロトスコープ"技術を使用し、世間に知られることになった。これは今日でも使われている手法である。
  • デイブが監督、マックスがプロデューサー的な役をこなした。またマックスは実写部分で時々ココたちと共演もしていた。
  • 道化師ココ・シリーズ/ココのハエ退治(1915年)

    "インク瓶の外"シリーズ第一作。ブレイスタジオにて、フライシャー兄弟が製作した。


  • 道化師ココ・シリーズ/ココの占い師(1923年)(手彩色カラー)

    占い師にいたずらしたマックスは、幽霊に取り憑かれたココを使って仕返しされる。



    ラウール・バーレ

  • カナダ生まれの画家であり漫画家。フランスでキャリアをスタートさせた伝説的なアニメのパイオニアである。
  • 絵と絵がずれないようにする通し穴の基本を作った。また、スラッシュ・システムを考案したのも彼である。絵のセットを組み、動かない部分を最初に描き、次に動く部分をそれに合わせて描いていくという手法である。この考案により、キャラと背景をその都度描かなくてもよくなり、初期からの問題だった時間と労力の点が解決された。
  • アメリカのエディスン社を経て自らのスタジオを持ち、巣立っていった未来の鬼才たちにはグレゴリー・ラ・キャヴァ、パット・サリバンなどがいた。
  • ビーチのアニメーション(1915年)

    アニメと実写を組み合わせた可愛らしい4作が入っている。



    チャールズ・ボワーズ

  • シカゴ・トリビューンやスター誌の新聞漫画を担当。アニメーターとして仕事を始めたのは、1912年頃だった。
  • 1915年にボワーズ・スタジオをオープン。「カツシェンジャマー・キッズ」「ハッピー・フーリガン」「マットとジェフ」等を手がけるが、21年に動画部門を閉鎖。実写と人形アニメを組み合わせた映画を研究、そして24年から数多くの作品を発表した。
  • 無許可離隊兵(1918年)

    第一次世界大戦終結時に、気の早いGIの無許可の離隊を防止する為に作られたもの。また、兵士に対する早急な処置も唱えている。



    ウォラス・カールソン

  • 1913年にドリーミーダッドのキャラクターを考え、エッサネイでシリーズ化した。
  • ドリーミー・ダッド禁煙を決意する(1915年)(エッサネイ社)

    貴重な一作。ダッドがタバコを吸おうとするが・・・!?


    ポール・テリー

  • 1915年に一人で"リトル・ハーマン"を製作した。後にブレイ&ハードのスタジオに入る。第一次対戦後に自らのスタジオを設立し"アルファルファじいさん"シリーズを作り続ける。量産で知られ、長い年月の間にたくさんの人気シリーズを生んだ。代表作にマイティ・マウス・シリーズ、ヘッケルとジャッケル・シリーズなどがある。
  • アルファルファじいさん・シリーズ/気まぐれな仔犬(1917年)

    アルファルファ・シリーズの初期の作品の一つ。彼が飼っている手のかかる犬が騒ぎを起こす。



    ジョージ・ハリマン

  • 漫画家。彼の代表作"クレイジー・キャット"は彼が死ぬまで数々の新聞で掲載されていた。アニメーションはレオン・シアール、フランク・モーザーが演出したが、漫画とイメージが変わらないようハリマン本人が常にチェックしていた。
  • 1916年にジョージ・ハリマンによってアニメ化され、続く16〜17年にはハーストに移り、26〜27年にはウィンクラー・ミンツによって製作され、36年にはスクリーン・ジェイムズによって製作されたという具合に、スタジオを転々としたアニメーターのみだけでなくキャラクターでもあった。
  • いかれ猫・シリーズ

    "クレイジー・キャット"の短編集。内容:クレイジー・キャットとイギー・マウス、サーカスに行く/クレイジー・キャットとイギー・マウス、"G"の文字について討論する/クレイジー・キャットとイギー・マウス、彼が私を夢中にさせた(1916or17年)



    オットー・メスマー

  • パット・サリバン・スタジオのスタッフだった。フェリックス作品を数百作描いた天才クリエーター。最も長い人気を誇るキャラクターの一つである。そのコミカルな動きはサイレント時代を経てトーキー時代に入っても様々な世代から愛され、テレビにも登場した。
  • 1919年に発表した"猫のフォーリー"で黒い猫が初めて登場する。パラマウントのプロデューサーが、呪いの黒猫から幸せの黒猫にしようと、フェリックスと名付けてシリーズ化が決定した。
  • 猫のフェリックス・シリーズ/フェリックスのお手柄(1922年)

    サーカスが町にやってきた。フェリックスが仲間に加わった為にショーは台無しに。



    トニー・サーグ

  • トニー・サーグはシルエット・アニメーションに貢献した。同ジャンルのロッテ・レーガニーとほぼ同年代の1920年代初頭に活躍した。作品のほとんどが石器時代を舞台にしており、原始人と恐竜が活躍する。彼の作品はわずかだが現存している。
  • だから大好き、原始人(1923年)(手彩色カラー)

    王様がレースの賞金に自分の娘を差し出した。ブロントザウルスに乗った主人公は苦戦の末、カバに勝つ。



    ハイ・ゲージ

  • 飛竜とカートゥーノ(1920年)

    非常に珍しい風変わりな作品。アニメ作家が描いた竜が本物になって大暴れ。主人公を容赦なく追いかける。"カット・アウト"アニメーションの良い一例である。



    ウィリス・オブライエン

  • 「キング・コング」「失われた世界」等モデル・アニメの分野で最も有名なフィルム・メーカー。元大理石の石切り人であった彼は、彫刻や粘土で恐竜やキング・コングのモデルを作っていた。アニメーターの親分的な存在。
  • 1914年、エディスン社で恐竜映画の製作でプロとしてスタートした。その後東部へ移りエディスン社と同じような作品を製作、マネキン・フィルム社により配給された。石器時代を扱ったユーモラスな作品が多かった。
  • 夢見るマイク(1917年)

    マイクは夢の中で石器時代に行く。原始人のレストランのウェイターがびっくりするような料理をマイクにサーブする。


  • 恐竜と失われた楽園(1917年)

    「キング・コング」の前身ともいわれる作品。本作中の"ワイルド・ウィリー"という動物がコングと酷似している。


  • 有史前の鳥禽類(1917年)

    ダチョウに似た原始鳥、ダイナーニスが洞窟の住人を迷惑がらせる。


  • 紀元前壱万年の郵便配達人(1917年)

    ヤキモチ焼きの郵便屋が、バレンタインの日に原始人の主人公とガールフレンドのカードをわざと逆に配達した。怒った主人公は、恨みを晴らそうと郵便車を乗っ取り仕返しをする。


  • サランバー山の幽霊(1919年)

    70年間"幻の名作"と呼ばれてきた作品。当時にして製作に3万ドルを費やした野心作だった。
    ある探検家が風変わりな道具を使いながら恐竜を見ようと人里離れた山に入った。何とか見つかったと思った瞬間、ティラノザウルスが追いかけてきた。そして突然・・・!
    アニメの動物と実写の動物を同画面に収めた最初期の作品として重要。使われた粘土のモデルも前作よりもグレードアップされており、いっそう大胆な仕上がりとなった。


  • クリエーション(創世)(1930年)

    これは伝説的な作品である。ウィリス・オブライエンとマルセル・デルガドがメリアン・C・クーパーに、自分たちのストップモーション・アニメの技術を作品に取り入れてもらおうと説得する為に作った、実験的な作品である。クーパーは、それより以前はキング・コングにはチンパンジーを使うことを想定していたが、この作品を見てオブライエンに特撮を担当させることを決心した。その後についてはご存知の通りである。
    本作はアニメの恐竜と実写の人間、実写の動物、実写・アニメ両方の鳥を違和感なく組み合わせている点で「キング・コング」用のデモ・フィルムとの見方ができる。



    ラディスラフ・スタレビッチ

  • ストップモーション・パペット・アニメを最初に考え出した人物。知る人ぞ知るだが、この分やでは、最も崇拝されているアニメーターである。アニメに携わる以前は写真家、風刺漫画家として有名だった。
  • 1913年、ロシアでアニメーターとしてのキャリアをスタートさせ、年を経るごとに発想力や技術面に磨きがかかっていき、1940年代に入ってもフランスにて現役で活躍していた。また、実体動画の技術的原理を発見したのも彼である。エミール・コールが線画アニメの創始者であったように、スタレビッチは実体動画の創始者であった。寓話の動物や昆虫を主人公とする彼の作品によって、人形アニメは著しい発展を見せた。
  • 蟻とキリギリス(1913年)(人形アニメ)

    スタレビッチの初期の作品に多いイソップ寓話を題材にした作品の一つ。リアルに作られた昆虫の人形を少しずつ動かして連続させるストップモーション・アニメの基礎を築いた。



    ハワード・S・モス

  • シカゴを中心に活躍。人形アニメのシリーズ、「モー・トーイ・コメディ」等を製作した。
  • 魔法のブタ(手彩色カラー)人形アニメ(1917年)
    トイランド・フィルム製作

    シリーズの一作。当時アニメーションといえばパペットを使ったストップモーション・アニメが主流であったが、本作では一般のぬいぐるみや木の人形が使われている。2匹のコブタとオオカミが登場する。



    アニメーション名作集

    NO.1

  • アルコールの悪魔(1912年)
    初期フランスのカットアウト・アニメーション

  • ハエをたたけ(ウィリー・ホプキンス)
    粘土人形のストップモーション・アニメ

  • モルペウス・マイク(1916年)(ウィリス・オブライエン)
    マイクは夢の中で石器時代に行き、原始人のレストランのウェイターになってびっくりするような料理をサーブする。彫刻を使ったストップモーション・アニメ。



    NO.2

  • 魔法の絵(1900年)(J・スチュアート・ブラックトン)
    ブラックトンがエディスン社のスタッフ時に撮った作品

  • ネコとサル(1921年)( ポール・テリー)
    愉快なドタバタ・アニメ。サルがネコを騙して火の中の栗をつかませる。最後に肋骨を9本折る。

  • 誘惑のまなざし(1922年)(ジョン・R・ブレイ)

  • ヘイ、ディドル・ディドル(作者不明)
    マザーグースの魔法のペン



    NO.3

  • ルーブ・ゴールドバーグとフォンティン・フォックスを訪ねる(1927年)

  • ボンゾー・シリーズ/ドッグ・ゴーン(1925年)(ジョージ・E・スタッディ)
    ジョージ・E・スタッディがアニメータのウィリアム・ワードと組んで、"ボンゾー"という小犬を主人公にしたシリーズ。キャラクター・コミックスの主人公としては今もイギリスでは知らぬ人はいないほど有名。

  • ジェリーは仕事中(1922年)(ジョン・R・ブレイ)
    ブレイの長寿シリーズ。2本の短編「タフな頑張り」と「楽になった生活」が入っている。



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